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Mue&Saiのシネマ恋恋

 

2018年2月号

〜別れの大劇場〜

    昨年のキネマ旬報12月号に掲載されていたこんな一文が気になった。「14歳の生の記録と86歳の受け取り方の違い。映画も同じなのか?落差を痛切に考える暮」(映画評論家・秦早穂子)。

    以前このコーナーでも採りあげたことがあるが、秦さんは「太陽がいっぱい」を初めて日本に紹介した人。同時に「勝手にしやがれ」などフランス映画の名作の輸入も数多く行った。溜息のような文章は“映画は社会を映す窓”と重なる。

    2018年から映画界は大きく変わるという。驚いたのは東京・有楽町の日劇が無くなるというニュース。日劇といえば有楽町のシンボルでもあるロードショー館。近くの日比谷界隈にはみゆき座、スカラ座があるがこれらも全てシネコンに吸収されるという。効率の悪い大劇場を整理しスクリーン数を増やすということか。これに対し単独の“映画館文化”が無くなるに等しいとの沈痛な声も聞かれる。

    かつて東京には“一流館”と呼ばれる劇場が存在した。70ミリ館の「有楽座」、「丸の内ピカデリー」、「新宿プラザ」、シネラマ館の「テアトル東京」など。これらの映画館を一番館とし、二番、三番館で構成されたピラミッド形式の劇場文化で育った世代には伝統ある劇場名が消えること自体が寂しい。

    「落差」とは変化なのか進歩なのか。70ミリ、シネラマスクリーンなどの単語さえ過去のものになった。我が青春のとき。食事代を惜しんでも大劇場に向かった時のときめきは遊園地化したシネコンでは味わえない…。

    2017年の大晦日。BSプレミアムが黒澤明監督特集を組んだ。放映作品は「七人の侍」「生きる」「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」の5本。一挙に鑑賞できるチャンスはめったにない。数時間後には年が変わるというのにテレビの前に座り込んでしまった。完璧主義とされる黒澤作品。全放映作品を観終わった感想はそれぞれが今は亡き優れた脇役陣に支えられているということ、黒澤作品とは集団劇だったのだ。白眉は志村喬主演の「生きる」。もう一度劇場の大きなスクリーンで観たい。

    それにしても「作品には不適切な表現がありますが…」の字幕はどうしたものか。「鑑賞」より「見方」。これも受け取り方の違いか。

(むー。)