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Mue&Saiのシネマ恋恋

 

2017年8月号

今だからチャップリン

   9月下旬から「しまね映画祭」が始まる。第26回を迎える日本一長い映画祭の開幕を前にスタッフの一人として今一度“映画とは何か”を考えてみた。「映画は時代を映す鏡であり、風化せぬジャーナリズム」と語ったのは大林宣彦監督。「映画を学ぶことは映画以外のものから学ぶこと」は篠田正浩監督の言葉。

    映画(鑑賞)には“観たい”“観せたい”“観てもらいたい”の三つ要素があると思う。映画祭のプログラムを考える時にこの要素は欠かせない。今回はそうしたプログラムとは少し距離を置くが、昨今の世界情勢から「もう一度観たい」「若い人たちに観てもらいたい」の思いに駆られた二つの作品を採りあげてみた。

    作品は「チャップリンの独裁者」(1940 年・米)と「チャップリンの殺人狂時代」(1947 年・米)。タイトル通りチャールズ・チャップリン製作、脚本、監督、主演によるものである。

    「独裁者」は実在したアドルフ・ヒトラーの独裁政治を批判した作品。撮影は第二次世界大戦が勃発した月に開始、ドイツがフランスを占領した1940 年に映画は完成した。独裁者ヒトラーを戯画化した作品は撮影中に脅迫が絶えなかったとされる。チャップリンは仮想国の独裁者ヒンケルとユダヤ人の理髪師の二役を演じ、世界征服の野望に狂う独裁者の仮面をはぎ、同時にユダヤ人弾圧の非人道性を訴えた。世界中の人々に自由のために戦うことを呼びかけるメッセージには映画の魂がある。日本公開は戦後であり自身は高校三年時に初鑑賞したが今も“我生涯の映画ベストテン”に入れている。

    天才と独裁者。奇しくもこの二人は同じ年(1889年)に生まれている。また相手役のポーレット・ゴダードは大作「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの候補に最後まで残り話題となった。

    「殺人狂時代」は30 年間真面目に銀行勤めを行いつつも突然首になった主人公が金持の中年婦人を狙って殺し、保険金を騙し取るという物語。しかし作品はチャップリン独特のブラック・ユーモアで満載。「数人を殺せば殺人犯だが、戦場で大勢の人間を殺せば英雄になる」のラストスピーチは戦争による大量殺人を痛烈に批判したものだった。

    二作はともにマッカーシーの“赤狩り”により上映中止の憂き目にあっているが、“映画の女神”はチャップリンを見捨てることはなかった。「独裁者」は世界映画史に残る傑作として、また“愛と自由”を愛するチャップリンの作品群は今も世界中で上映され続けている。

    

(むー。)