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Mue&Saiのシネマ恋恋

 

2016年1月号

原節子さん逝く

    女優・原節子さんの訃報を聞いたのは11月25日のNHK のラジオ深夜放送だった。言うまでもなく日本映画界で最も高名な女優といえば原節子さん。そのニュースは翌日の新聞やテレビで大きく取り上げられた。たまたま当日の勤務がなかった自身は一日中テレビの前に座り、喪に服すように各局報道の原節子死去のニュースを見ていた。頭の中は代表作「東京物語」(1953年、小津安二郎監督)のことでいっぱい、DVD ソフトを横に今こそ観なければと思いつつも体が動かなかった。

    観客の立場を離れた「東京物語」にはある思い出がある。自身が関わっている名画上映会での出来事だった。その年は小津安二郎監督生誕100年という記念の年で、ある月に小津監督作品の「東京物語」を上映することに決めていた。

    準備万端、前売り券の売れ行きもまずまずという時にショッキングなニュースが飛び込んできた。それは配給元の松竹からで小津生誕100年興行の企画があり、同監督作品(35ミリ版)は一切提供出来ないという知らせだった。体が凍ったものの抜け道はひとつ、16ミリフィルム版なら良いということだった。

   この時、映写を担当して頂いていた中国16ミリ映画社さんの尽力で和歌山県の某映画社に16ミリ版「東京物語」のプリントがあることが判明、それを使用することで上映会の中止は免れた。

   当日の会場は超満員、2回上映の300席に補助席をプラスする状態だった。遅れてきた何人もの高齢の女性客を抱え込むようにしながら客席に案内をした。全国で唯一本の16ミリフィルムは継ぎはぎだらけの満身創痍の状態、音声の状態も褒められたものではなかったが観客からは不満の声は全く聞かれなかった。

   上映が終わった時、自身はひとりの老紳士に声をかけられた。「今日は有難う。小津もいいけどやっぱり原節子だね。奈良県から来たけれどこういう映画をやるって素晴らしいね。これから夜行バスで帰ります」。

   「東京物語」と「原節子」。そのタイトルを、その名前を聞くたびに自身はあの日のことを思い出す。また「東京物語」は観るたびに新しい発見を伴う。おそらく死ぬまでそれは続くだろう。

   原節子さん、享年95歳。1962年42歳で映画界を引退。その3年前の東宝オールスター作品「日本誕生」(1959 年、稲垣浩監督)では天あまてらすおおみかみ照大神を演じた。この役は東宝の重役会議で最初に決定したと言われている。神秘の女優はやはり雲の上の人だった。
 

(むー。)